Reasoning Testと最近の話題

統計モデル解析特論I/II : 第03回 (10/19/21)

第3回 ショート課題に対する回答 (10/22 21:30掲載)

以下は、第3回のショート課題 に寄せられた回答である。 参考になれば幸いである。

    【注意】「公開を可」とした回答(75件)について、先頭の空白は削除した上で、 「必要(46件)」、「不要(23件)」、「その他(6件)」のそれぞれで行頭文字コードで並べ替えを行った。 よって並び順は学籍番号や提出順とは無関係であり、 番号は便宜的に振ったものにすぎない。また、改行位置は回答のままとしてある。


  1. 必要: 1番の理由は現在取り組んでいる就活において思考力や論理的記述力は必要不可欠な力であり、短期間で容易に身につけられるものではないと感じているためです。大学入試の時点での力を測ることは、今後多くの場面で意味があることとなると思います。
  2. 必要: In my opinion, it is necessary to evaluate logical thinking and writing skills at the time of high school graduation (university entrance examination). This is because this entrance examination will make the link between high school and university education stronger. On the other hand, the following are some of the things that students should acquire in their university life and can identify from how the solve the problem in the exam, such as:
    - The ability to analyze things in a multifaceted and logical way.
    - The ability to express and communicate their ideas accurately.
    - Intellectual curiosity (a desire to improve basic academic skills by broadening and deepening them).
    - Ability to think, judge, and communicate (the ability to use knowledge in a multifaceted and integrated way and to develop skills for problem-solving).
  3. 必要: Personally, I think that it is good to have thinking and narrative abilities examination. From direct perspective, the examination is employed by the institution or university to filter or select the capability or a candidate. However, I think that this is a good opportunity as well for a the candidate to evaluate himself in order to make him realize whether or not that he is suitable or not to be enrolled into that particular field or study.
    Although we cannot deny that a potential of a person cannot be evaluated just by a piece of paper (examination). However, there is no other better way to do it when there are a big number of applicants applying a certain position, school enrollment or etc.
    As a conclusion, I think thinking and narrative abilities examination might be replaced in future, but it is the current best solution that can be implemented.
  4. 必要: これからの社会で活躍していくいは、知識よりも思考力や論理的記述力が必要となる事が加速していくと考えられる。
    現状、大学及び大学院は社会で活躍するための人材創出の場であると私は考えます。
    そのため、より良い人材創出を効率よく行うために大学進学時に思考力や論理的記述力を評価するのは必要だと考えます。
    しかし、大学進学時に上記の能力を評価するのであれば、進学前までにすべての人がその能力を伸ばせる機会・環境を整える必要も同時に必要だと考えます。
  5. 必要: 継続的な学習の過程で、教科書の知識は時間とともに忘れられていくが、学ぶ力はますます強くなっていくと思うからだ。思考力や論理的記述力とも学ぶ力の一部です。大学に進学しても、社会人になっても、高校までの学習内容のうち、実際に必要とされるのはほんのわずかであり、この学ぶ力はその後の勉強や職場でも欠かせません。
  6. 必要: 研究では勿論、ビジネスの場でもロジカルに考え、話す必要があるからだ。思考力や論理的記述力は学ぶことによって得られる能力であると考える。そのため、大学卒業後に就職することを考えれば、大学卒業時の論文成果だけではなく、通過地点として高校卒業時点で思考力や論理的記述力を評価される必要があると考える。
  7. 必要: 現在,インターネットで調べれば情報はすぐに大量に得ることができるため,その情報が正しいか,どう活用するかが大事だと考えており,そのためには与えられた情報から結論を導く思考力やその結論を他人に伝えるための論理的記述力は重要な能力であり,共通テストでは測ることができないと思われるから.実際に,共通テストとReasoning Testの成績には相関が見られず(言語の影響は除く),それぞれのテストが別々の能力を評価しており,共通テストは主に基本的な学力を測るテストであることから,思考力を測ることは難しいと考えられる.
    また,個人的な意見だが,進学校と呼ばれる高校は生徒を大学に合格させることを目標とした教育をしており,知識を詰め込むことを意識した教育で,思考力を養うような教育はあまりなかったように思える.思考力が大事だといわれていても,大学合格に必要のないものだと考えられてしまうと教わらない可能性も考えられるため,試験にしてでも生徒に思考力や論理的記述の教育を進めていくべきだと思う.
  8. 必要: 現在,学習している数学なども実生活でその知識が直接的に生かされることはほとんどなくて,数学は難しい数式を解くことを目的としているのではなく,答えを導くための考え方・思考力を身につけるための学習なのではないでしょうか。そのため,難しい問題を解けることが重要なのではなく,思考力や論理的記述力が身に付いているかどうかを重要視するべきだと思うからです。
  9. 必要: 現在の大学院や就職後に必要である能力と受験で求められている能力に乖離を感じるからです。確かに受験で必要な知識を持っていることはとても重要ですが、将来必要とされる能力ではないと思います。そのため、高校までの教育で学べることと、将来必要である能力にある程度の一貫性を持たせるという意味で、大学入試を思考力、論理的記述力を評価する形に変えるというのは妥当なのではないかと考えます。
  10. 必要: 現時点で絶対に必要までとは言い難いが科学的、統計的に思考力や論理的記述力を評価するテストの妥当性、またその能力をあげる方法が十分に確立すれば良い指標になると感じる。その理由として知識がある人が優秀な時代ではなく思考力や論理的記述力が重要な時代に移り変わっているので教育の多様化にも良い影響になると感じているからである。
  11. 必要: 個人的には、大学入試にはセンター試験だけではなく、思考力や論理的記述力の試験(文系と理系に分けて出題)を加えるべきだと思います。
    1.受験生にとっては、大学で必要とされる学力を心構えることができ、人生の選択(大学進学か専門学校進学か)を明確にすることができる。
    2.高校にとっては、このようなテストが含まれていることで、思考力や論理的記述力を鍛えるための活動を授業に取り入れるなど、教育方法の改革を迫られることになる。
    3.大学にとっては、このような試験を入れることで、研究者の卵として育成するのに適した学生を早期に選抜することができる(大卒後で就職や進学を問わず)。
  12. 必要: 講義内で大学院生及び社会人に必要な能力だとおっしゃっていたように、いつかは必要になる能力なので大学受験の段階から評価されるべきだと思ったから。また、現在私たちは就活で思考力や論理的思考力を求められることが多いが、高校の時点で対策を行えていたら苦労が少なくて済んだようにも感じる。つまり学生の負担軽減に繋がることも考えられるので必要と感じた。
  13. 必要: 高校生は大人といわれますが、本格的に社会から大人として認識されるのは高校卒業後であると思います。大学生になるとアルバイトなどを通して社会との関係も強くなりますし、多数の人と関わることになります。アルバイトにおいても常に何をすべきかが考えることができるためには思考力は必要ですし、相手に自分の気持ちを伝えるためには論理的に話さないといけません。僕自身、塾でのアルバイトをしていて、生徒が良い考えを持っているのに、論理的に話せていないため伝わらないなと感じることもあります。まだ、高校生なのでそこまで問題ではないかもしれませんが、社会に出た時に勿体ないなと思うので、高校卒業までに習得しておく必要があるので、これらの力を評価する必要があると思います。
  14. 必要: 高校卒業時点において、思考力や論理的記述力を評価する必要があると考える。
    私は、大学生活において大切な事の一つとして、専門性の強い学問や一般教養や学び世に研究成果を残すことであると思う。
    そのために大切なことは、自分が学んだことや知識に対してどのように活かす事ができるか考える『思考力』や、第三者にわかりやすく伝えるための『論理的記述力』であると思う。
    これらを高校卒業時に評価される必要性として、大学に入るまでにそれに対応する演習ができるという機会があることだ。実際にセンター試験入試において、数回のセンター試験の模擬試験を受けて自分が何ができないか、どのような弱点があるか細かく分析を受け普段の勉強生活に活かしたという経験がある。共通テストが単なる合否判定のツールとなるのではなく授業内で述べられていたようにテストに対する分析機能を持ち合わせるものであるといいと思う。
    共通テストを受けるまでの過程の中で思考力・論理的記述力への模擬試験・分析・対策などを行うと思う。最終的にこれ等の力が大学生活での研究分野の中で役立つはずだと思うので、高校卒業し大学での研究的分野の世界に飛び込む前に思考力や論理的記述力を評価を受ける必要があると考える。
  15. 必要: 高校卒業時点において、思考力や論理的記述力を評価する必要はあると考える。なぜなら、思考力や論理的記述力は短い期間で習得することはできないと考えるからである。これらの能力は知識とは異なり、経験や長い時間をかけて身になるため早い時期から学び始めた方が良いと考える。但し、大学や学部によって求められる思考力や論理的記述力の習得度や種類は異なるので共通テストよりも二次試験で評価を行う方が良いと考える。現在の二次試験には、学習指導要領外の分野に関して必要な知識は注釈を入れることで思考力や論理的記述力を測る問題を出題することもあるのでそのような形で評価することもできると考える。
  16. 必要: 思考力、論理的記述力は、社会人として会社で働く上で必要な能力であり、将来必要とされている能力と高校卒業までに重要視されている能力の乖離が起きることは大きな問題であると考えられるから。
  17. 必要: 思考力や論理的記述力は進学に必要な学習のみならずその後の社会生活において必要不可欠な能力であり、高校卒業時の自身の能力を把握するという意味でこれらの能力の評価を行う必要があると考える。しかし、現状では本来の意義から外れてしまっていると感じるため、義務教育等で思考力や論理的記述力を育てるような教育カリキュラムを並行して作成する必要があると考える。
  18. 必要: 思考力や論理的記述力を評価する必要があると考えています。
      いつでも問題に遭遇したとき、思考と論理が事を処理する効率を決定することができると思います。この能力のレベルは、研究または仕事にも関連しています。
      しかし、理系生に対して重要だと思いますが、芸術の道をたどる人にとっては重要ではないかもしれません。
  19. 必要: 私が必要であると考える理由は、思考力や論理的記述力といったものは大学での高等教育を受ける上で土台となる能力だと考えているからである。
    例えば、大学の教育においては高校までの学習と比べて自学自習が求められる。
    その中で、学んだ内容を自身の中で醸成し深めるための思考力や、その思考を適切に他者に伝えるための論理的記述力は、最低限身につけておかなければならない能力である。
    そのため、大学入学時に必要とされる能力として高校卒業時点において思考力や論理的記述力を身に付けておく必要があると考える。
  20. 必要: 私は、大学入試受験における入学者選抜の観点から思考力や論理的記述力を評価する必要があると考えました。大学入試受験では取得点数が高い受験生から合格となります。もし大学入試受験が思考力や論理的記述力を問わない形式であれば、受験生の優劣は暗記力を中心とした項目で評価することになります。しかし、暗記力の評価では受験生の得点の差が生じにくいと思います。
    よって、思考力や論理的記述力によって、受験生を評価する必要があると考えます。
  21. 必要: 私は日本の場合であるならばいると考える。
    理由は、日本の大学の学生から見た立場にあると考える。我が国では、大学に合格することが勉強する目的になっている学生の割合が高く勉強量のピークも大学入試直前が最大となっている学生も多い。また脳科学の分野においても学習と習得速度の関係性は20代前半(たしか21歳)が最大となっており効率的に成長ができる期間は有限である。
    学問の分野でも、高校までは基礎的な学力を、大学からは専門的な学力を身につける場としても足らえることができるため、基礎的な学力として思考力や論理的記述力を求められるようになれば大学で専門的な学問に費やす事ができる時間が増えるため良いと考える。
  22. 必要: 私は必要であると考えます。
    論理的記述力というものが欠けていることで、
    大学に入ってから論文やレポート、エントリーシートを書く時に苦労する
    ことは多々あったし、暗記力があることよりも、
    筋道を立てて思考したことを書けることの方が、社会に出て評価されることが多いと思うから。
  23. 必要: 私は必要であると考える。
    例えば共通試験や二次試験は人生でも数少ない大きな試験の場である。そのような評価できる機会を有効活用していく必要があると考える。
    ただ評価するにあたって、点数だけの開示ではなく、どこが悪かったか、何が足りなかったかまでがフィードバックとして返ってくることによって初めて評価の意味があると考える。
  24. 必要: 自分は、大学入試において思考力や論理的記述力が必要だと思う。思考力や論理的記述力は、基本的に大学の講義や研究を進めていくうえで必要となる能力であると感じるためである。この能力が著しく欠如している場合、自分で考えて学ぶ場である大学に、果たして進む意味があるのかが自分としては疑問である。
     しかし、大学入試としてこれらを評価することは難しい。これらの能力は記述試験で評価をするが、受験者の多い共通テストでは、採点者による差や採点に要する時間が膨大であるため、共通テストとして評価する必要はないと考える。
     また、各大学ごとに求める入学者の基準が異なっている。そのため、各大学が求めるレベルの思考力や論理的記述力を、各大学の2次試験で評価することが適当であると考える。
  25. 必要: 社会に出てからも必要な能力になるから。
  26. 必要: 社会人になってから、思考力や論理的思考力を必要とする場面が多いため、早くのうちから学生に重要視させたほうがいいと思う。
    高校時代は思考力や論理的記述力の重要性がわからなかったため、そこを重要視したカリキュラムにして入学時に評価すべきだと思う。
  27. 必要: 受験者が大学への進学や社会への就職する先での実際に学ぶことに対する必要なレベルを事前に図るため
  28. 必要: 初めに、共通試験で実施する必要はないと思います。採点が絶対に公平に出来ないからです。しかし、思考力テストと共通試験で結果に相関が見られないのなら、新たな学力の評価軸としては2次試験には取り入れるべきだと思います。また、旧帝大などの2次試験(5年以上前のことですが)では既に出題されているように感じます。
     最後に、将来的に必要な知識として、大学や院試・就活で思考力や論理的記述の試験を徐々に実施しているように感じました。なので、大学入学時に思考力や論理的記述力を評価することは重要だと思います。
  29. 必要: 専門性の分化が進み、1つの専門領域を修めるだけでは不十分となりつつある現在において、記憶力を問う問題も必要であるが、思考力や論理的思考ができる力が1つの領域に留まることなく他の分野を横断して、通底して必要な能力であるから。
  30. 必要: 大学での学習に思考力や論理的記述力が必要とされることが多いと感じるからである。大学1年時においてもレポートの提出で論理的記述力が求められるし、考察では思考力が求められることがある。そのためにはそれらの課題が課される前に思考力や論理的記述力が備わっていないといけないと考えた。
     そこで大学入学前に学ぶべきか、入学後1番に学ぶべきかの2つが考えられるが大学入学前に学ぶべきであると考える。情報がインターネットで簡単に手に入る時代となり、情報から何を読み取りどう伝えるかの方が重要になった社会では、思考力や論理的記述力は中等教育で学ぶべきことだと思うからだ。
     よって私は高校卒業(大学入試)時点において、思考力や論理的記述力を評価する必要があると考える。
  31. 必要: 大学では,専門的な内容を重点的に学ぶため,それを理解するための思考力を身につけることは重要であると考えるからです.また,高校では,ある1つの考え方から答えに導ける問題が多いと思われますが,大学では答えのない問題,もしくは様々なアプローチから解くことが出来る問題が多いと思うため,そのような課題に取り組むためにも必要であると思います.
  32. 必要: 大学では高校で学んだ基礎学力からさらに専門領域の学問の習得とは別に、個人の興味に基づく研究活動が求められる。研究には知識とは別に、実験結果をどう捉えるかの思考力や教授等と議論を交わすための論理的記述力が必要となる。この点から考えて、大学入試において、思考力や論理的記述力を評価する必要があると考える。また、高校卒業段階でこの能力の育成が行われていれば、授業やゼミでの議論や考察が活発に行われ、より主体的に研究活動に励める学生が増えるのではないかと思う。
  33. 必要: 大学に進学せずに高卒で社会に出ている人はいるのだから、大学に進学する人は高卒社会人相当の思考力や論理的記述力を持っている事は当然であるべきなので、それを評価するテストは必要だと思う。
    実際自分も含め、思考力や論理的記述力が足りてないのではないかと思う人、場面が多々あるので、より一層そう感じる。
  34. 必要: 大学は就職にかかわるものであるため、より社会人能力としてひつようである思考力や論理的思考力を評価するべきであると考えます。現在の大学入学試験では、思考力や論理的記述力ではなく、暗記力を評価する仕組みになっています。この評価方法であると能力に見合わない人でも努力次第で比較的偏差値の高い大学に入学できてしまうからです。測定の仕方が難しい問題がありますが、少しずつ変えていくことは必要であると考えます。
  35. 必要: 大学院だけでなく、大学生活においても思考力や論理的記述力が期待されているとするならば、そこでの授業、生活についていけるかを試す大学入試には、思考力や論理的記述力を評価するものがあって良いと考えました。そうなれば当然、高校時点で思考力や論理的記述力に関する学習項目を取り入れる必要があり、高校生活を圧迫するため、成長段階として試す時期が早いのではないかという意見も出てくると思います。しかし、(大学、)大学院、社会に置いて求められる能力という状況は、事実であり、そのような場に入ってから極端なミスマッチが起こる事のないように、大学入試という段階で試す必要性があると考えます。また、SR-Testの研究結果から、現行の試験では評価する事のできない思考力や論理的記述力がありそうだということがわかっているので、多様な能力を試すという意味でも取り入れるといいと考えます。しかし、大学、大学院は社会人としての人材を育成する場として考えて良いのか(社会人大学生の存在)また、大学によって求める思考力や論理的記述力があまりにも異なる場合、過去問対策した者勝ちテストにはなるのではないか、という点については十分に考える必要があると思います。
  36. 必要: 大学生活の課題レポートや研究活動で求められる能力は、暗記能力に限らず思考力や論理的記述力であり、これらを評価しないまま大学への入学を許可することに疑問を感じるため。
  37. 必要: 大学入試は大学の修学に耐えうるかを測るものであり、大学での学習活動ではレポートやグループワークといった論理的思考力・記述力を求められる。
    その点で大学入試時点でそれらの能力を測り、修学に耐えうるかを判断する事は必要であると考えられる。
    また、センター試験や共通テストによる基礎学力の測定もおろそかにするべきではない。外部の私大から進学してきた私の実体験だが、内部との基礎学力の違いによって苦労する事が多々あるからだ。
  38. 必要: 大学入試を行う目的は入学後の修学に耐えられるかを判断するものだとすると、入学後に要求される思考力や論理的記述力を評価するテストは必要だと思う。しかし、人間の発達過程を考えると、10代の方が記憶が定着しやすいと言える。思考力や論理的記述力は大学入学後も十分訓練する場があるので、まずは知識を定着させることが優先すべきように思える。そこで思考力を測るとしてもアメリカのreasoning testのように、情報を問題文に記載した上でテストをするようにすれば、知識がある人は時間短縮になって有利になるような問題設計ができると思う。
  39. 必要: 大学入試時点で評価することによって、高校生が思考力や論理的な記述力を学ぶきっかけとなる時期や場所が作られることにつながるから。
    社会に出た後で、それらの能力がむしろ評価されることは明白である。しかし、例えば高卒の人がそのような教育がされていないことや、IQや論理的思考力は優れているが、勉強のやり方(効率的に暗記するといった)が得意ではなく、優秀な教育機関へ入学できないといったことは問題となるだろう。AIやインターネットの普及の中で、単純な人が覚えている知識には限界があり、これからの社会に必要なのは創造力や論理的な思考だと私は思う(コミュニケーション力や共感力など、他にもたくさんあるが)。
    そのようなことを踏まえると、単純な記憶力や知識を問う問題は、今の情報社会においてあまり意味を成すとは思えない。
    今までの共通学力試験とは別途で、Reasoning Testのような試験を課すのは現実的でないだろうし、従来の試験をより論理的思考力を養うような問題に作り替えるのは現実的ではあるが、受験者にとっては大変であるから、方法は要検討するべきではあるが、私の意見としては、高校生の時点でも、論理的思考力を身につける場所だけでも必要であると考えている。
  40. 必要: 遅かれ早かれどこかのタイミングで評価をしないと、自分で判断するのは難しい力であるため、社会を経験している大人たちにしっかり評価をしてもらうべきだと考える。
    また、私の意見としては小学校や中学校の内からこの力は鍛えていくべきだと考える。
  41. 必要: 日本ではたびたび学生の論理的思考力の不足が指摘されていることを耳にする.近年,世界の大学の順位の日本の大学の位置などからもわかるように,日本の学生の学力の低下が問題となっている.これは,高校の時点で,なぜこの勉強をしているのかということが教えられないことや,暗記をすることを前提で学習指導されるような傾向となっていることが問題であると考える.高校で学ぶことを論理的に考えることでより理解が深まり,学力の向上に繋がると考えられる.これは,大学での学部での講義も同様に言える(高校の習慣を引きずり暗記で大学の単位を修得すること).
    また,アメリカなどの海外では,高校が難しく,大学は入るのはたやすく出るのが難しいという話も聞いたことがある.講義の中で,それぞれの国で,教育の制度設計が異なるという話題もあったが,アメリカのようにより高校生の段階で自主的で論理的な勉学をさせるために,論理的思考力,記述力を評価する制度を取り入れる必要があると考える.
  42. 必要: 必要だと考える。なぜなら、大学にとって、卒業後社会で活躍できる優秀な人材を発掘・育成し、様々な産業に送り出すことが最も有益だからだ。研究者になるにしろ、その他社会人になるにしろ、課題設定・解決はどちらも共通の必須能力であり、最初から必要な知識が全て揃っている状況などあり得ない。そもそも課題は何なのか、解決のためには何の情報が必要なのかをゼロから構築できる人材こそが活躍するだろう。また、高校生の成長段階を考慮しても、彼らは4年後の未来の社会人であり、その素養は評価された方が良い。
    既存の大学受験では限られた知識を前提にして問題が作成されるため、その問題のパターンは有限であり、事前に解答の仕方も含めて受験生は勉強する。このような問題の採点は、全員が全く事前に知識を与えられない思考力・論理的記述力試験と比較すると、暗記力に対する評価が大きい。よって、1段落目で述べた理由から、純粋な思考力や論理的記述力を測る試験を新たに設けることは意義のあることだと考える。
  43. 必要: 必要である理由としては大学に入学した後の4年または6年間に思考力と論理的記述力を養うのはもったいないと感じるからです。高校から大学入学時点でそれらの能力を養っておくと大学に入学してから様々な可能性がつかめると思います。そうすればいち早く大学で様々な考えを持てるようになり、自身の将来の在り方についても考えるきっかけになると思います。
  44. 必要: 必要ではあるが、それだけを問うような試験にはなってはいけないと思う。
    思考力や論理的記述力が社会生活において必要であることは間違いないことではあるため、これらの能力を大学入試時に評価する必要は大いにあると思う。
    しかし、これらの能力はいわば今までの経験や環境、考え方から身についていくものであり、すなわちそれらは極端に言うと、自分が蓄えた知識を活用しているにすぎないとも言える。
    端的に言えば、知識が思考力や論理的記述力のベースになっているということである。
    研究者など専門的な領域になればなるほど、そういった知識は日常生活で自然と身についていくものではないため、知識を身に付けるという能力も、思考力を上げるためには必要な能力であると言える。
    そういった観点から考えるとReasoning Testのような思考力だけを問うような試験ではそのような必要不可欠な能力を評価できない。
    そのため、知識、思考をともに評価できる試験にするのが一番いいのではないかと思う。
    個人的に現在の大学入試の問題は、知識がある上でそれを活用するような試験になっているものが多く、割と理想的なのではないかと思う。
  45. 必要: 評価対象とすることで、高校の修業過程にそれらを養うカリキュラムが導入されれば、今後社会において必要となる力を身につけることができるから。
    ただし、試験においは現在行われている共通テストにて厳密に評価するのではなく、各大学が生徒に要望する思考力、論理的記述力を小論文等の試験に置き換えて2次試験の類で評価するのが妥当であると考える。
  46. 必要: 理由は大きく分けて2つです.
    1つ目は,大学進学を目指す学生にとって,試験に含まれない科目や内容はどうしても勉強の優先度が下がってしまうという点です.高校時代に情報や家庭科など,入試では扱わない科目も多く学びましたが,入試が近づくとどうしても使わない科目は勉強がおろそかになりがちでした.思考力や論理的記述力は大学生になってからだけでなく,社会に出てからも多くの人が必要となる力であるため,早いうちから学ぶべきであると考えます.したがって,大学入試時点においてこれらの力を評価される場が必要であると考えました.
    2つ目は,大学生になってからの4年もしくは6年間では,思考力や論理的記述力を十分に高めるのは難しいという点です.大学に入ってからは,専門的な知識を得るため,新しく学ぶこともより多くなります.その中では,(学科により多少の差もあるものの)どうしても思考力や論理的記述力を高めることに特化した授業が少なくなることもあり,研究をしたり論文を書いたりする際にそれらの力が不足し,苦労する場面もありました.そのため,思考力や論理的記述力は早いうちから高めておくことに損はないと考え,大学入試時点においてこれらの力を試す場を設けるべきだと考えました.
  47. 不要: アメリカと日本を例にとると、日本では大学に入学することが目的となっており、入学してから怠けてしまう人が多いと言われています。しかし、アメリカでは大学を卒業することが難しいと言われています。両国で大学に関して対称的な関係になっていますが、アメリカと日本の経済の発展の仕方や、学業に関しての考え方を見るとアメリカの方が優れていると感じているため、見習った方がよいとおもったから。
  48. 不要: センター試験→努力
    論理的記述試験→地頭の良さ
    と考えるので,高校時には,努力できる力を身につけるべきだと思うので,高校卒業時に論理的記述試験は不要と考えます.
  49. 不要: そもそもとして「日本の共通テストは思考力や論理的記述力を評価できていない」という前提に対しては,いさかかの疑念が浮かび上がる.確かに共通テストは知識が問われる問題やパターン化された問題が多く,暗記力や課題の復元力を問われる要素は大きい.しかし私は,そこに内包される一要素として,思考力や論理的記述力も評価されているものだと感じている.そのため私は「思考力や論理的記述力を評価する必要はある」という立場を前提とした上で,「(より一層,思考力や論理的記述力の評価に焦点を当てるために)共通テストをReasoning Testに置き換える必要があるかどうか」が問われているものと捉え,それに対して「不要」と回答した.
    そもそも大学入試で求められるべきものとは「与えられた課題に対する解決力」であり,それに対して共通テストが気を配るべきは「アプローチの多様性を許容すること」だと私は考えている.その点において現行の共通テストは「適切なアプローチを取れれば誰でも高得点を狙えるもの」として良い塩梅なのではないかと思う.
    共通テストは,記憶力を強みとする人は記憶力を頼りにし,思考力を強みとする人は思考力を頼りにして学習に取り組めば,誰でも良好な成績を収めることができる仕組みになっている.私は暗記をすることが著しく苦手だったため,パターンを導くためのロジックを構築することで,暗記事項を最小限に止めながらも大学入試には立ち向かうことができた.共通テストはパターンとしては単調な問題群であるからこそ,事前準備と創意工夫によって攻略できるアプローチの多様性が保たれていたのである.
    Reasoning Testにおいては,この多様性が損なわれてしまうことが懸念される.世の中には「理解できないから覚えてしまえ・調べてしまえ・人に聞いてしまえ」としてよいことも多く,またそのように選択して行動する力も,求められる能力の一つであると考えられる.その上,そうする過程においても思考力や論理的記述力が試されるものだと考えると,Reasoning Testで得られる評価は取り立てて価値のあるものでもないのではなのかという疑問を感じてしまう.共通テストとは評価できる指標のベクトルこそ違えど,価値としては大差ないままに,ただアプローチの多様性のみを狭めてしまうものになるのではないか,と懸念しているわけである.
    日本の学習指導要領が全国で統一されているからこそ言えることではあるが,共通テストの持つアプローチの多様性は,Reasoning Testでは取って代わることのできないものだと思う.日本の大学入試はむしろ,この多様性をいかに広げていくかに注力すべきだと考える.
    以上のように,共通テストをReasoning Testに置き換えることは反対である.だが,例えば選択問題のような形で,部分的にReasoning Testを取り込むことは,ここまでの文脈における多様性という観点で検討に値するものだと考えられる.
  50. 不要: もちろん思考力や論理的記述力があるに越したことないが、高校卒業時点では評価する必要がないと考える。
    なぜなら、高校は社会や世の中の仕組みを学ぶ段階にあると考えるからである。
    高校で学ぶ科目はどれも大学や社会で学ぶことの基礎となる。大学受験ではそれらの科目を徹底的に勉強するため、そこに思考力や論理的思考力を評価する試験を課すのは受験生にとって大きな負担となりうる。
    また、知識があるから論理的思考ができる側面を否定できないため、高校生は論理的思考よりも知識を優先すべきである。
    このことから、高校生はまだ知識をインプットする段階にあると考える。
  51. 不要: 一点目として,思考力や論理的記述力は学校教育内での指導が難しく,個人の能力に偏る傾向があると考えました。
    2点目として,試験項目にあったとしても明確な採点・評価が難しい点です。記述形式だった場合,採点者の主観的な考えが入ってしまいます。ですので,選択形式が実現可能ではないかと思います。
  52. 不要: 結論から述べると,私は「評価する必要はないが教育する必要はある」と考えている.アメリカがこのようなReasoning Testを行う理由としてカリキュラムが統一されていないため,カリキュラムに依存しない論理力を見る試験にしているというのは賛成できる.しかしこれを現時点での日本に当てはめるのは特に真面目にやってきた学生が不憫に思えてしまう.ここからは若干自分の憶測になってしまうが,アメリカではカリキュラムが統一されていない分,知識ではなく,小中高の段階から個人の意見の主張力や論理的思考力に重きをおいて教育しているのではなかろうか.これに対して日本はカリキュラムがしっかりと統一されており,全国どこの出身であっても習うことのできる知識や解法に差は生まれないように思える.しかしこのように全国で差のない教育をして,統一した評価指標にするにはテスト内容を採点者側の個人差が出にくい,知識を問う問題を出題し採点するのが理にかなっており楽である.このような教育システムである限り日本の特に真面目な小中高生は,学校や塾において教科書にある知識やテストで点を取るための知識を頑張って学習している.こうした真面目にやってきた学生に対して急に大学の入試を論理的思考力が問われるものにして評価するのは少し投げやりであると思う.
     もしこのような問題を出題するのであれば小中高のいずれかで段階的に論理的思考力を鍛えられるような授業を実施すべきであると考える.いずれにせよ論理的思考力は必要であるため,大学に入ってから教育する必要性は感じる.したがって中央教育審議会の答申の大まかな方針(高校から論理的思考力を身につける)というのは賛成であるが,現段階の日本には取り入れるべきではない,つまり「評価する必要はないが教育する必要はある」と考える.
     以上を踏まえた私の提案として,論理的思考力は小学校から段階的に成績で評価されるという形を高校までとり入れ,入試はこの成績に合わせて従来の学力で選抜するのが良いのではないかと考える.
  53. 不要: 高校時点で高い思考力や論理的記述力を十分に教育している高校が多くないと思うからである。
    また、これらの能力は大学で学ぶことができるためそれらを持っていないからといって不合格にするのはその学生の大学での活躍の可能性を詰むことになると考えるからである。
  54. 不要: 高校生は人生経験が少なく、社会に出ることも少ないので、知識、思考力ともに家庭、学校に左右されると考えられる。
    大学生になればいろいろな経験ができ、多様な考え方が可能になると思う。僕も論理的思考が培われてきたなと思うようになったのは大学生になってからなので、高校生に思考力、論理的記述力の評価をするのは早いと考える。
  55. 不要: 高校卒業(大学入試)時点で評価を行う必要はないと考えます。個人でレベルを把握したり、調査ならいいと思います。思考力や論理的記述力というのは、正解がないもので、個性や性格が出るものだと思ってます。それを評価基準に入れるのは、思考の幅広さや想像力が縛られたものになる可能性があります。この年は特に、多様な発想や考えが生まれる時期だと思うので、フリーにするべきだと考えます。
  56. 不要: 高校卒業(大学入試)時点において、思考力や論理的記述力を評価する必要はないと思います。理由は、大学での勉強で論理的記述力を鍛え、評価される機会は必ずあるからです。どの大学でも授業において小テストやレポートにおいて論述をする機会があり、高校生よりも深く考え自分の考えを論理的にまとめなければ単位として認められません。そして卒業論文で4年間で身につけた論理的記述力を評価されます。大学生になれば論理的記述力を評価される機会は多くあるのに、わざわざ大学受験で対策しなければならない科目を増やすのは受験生の負担になるのではないでしょうか。
  57. 不要: 高校卒業時点では、思考力や論理的記述力を評価するには早いと考える。
    例えば、学習機会が不平等な社会であるため与えられた授業内容などに関してはみんなが努力すれば同様にこたえられるかもしれないが思考力などに関しては、幼いころからの学習機会などが大きく出てきてしまうのではないかと思うので、さらに格差が広がると考えるため高校卒業時点では勉強をすれば結果として反映されやすい、センター試験のような内容が必要であると思う
  58. 不要: 思考力や論理的記述力などは、社会に出るうえで大切な能力であるとは思うが、高校での教育を終える18歳の時点で十分身に着けることは難しいという側面もあると考える。日本において高校は、大学以降により高度な教育を受け、そのような能力を育むための基礎的な教養を学ぶ場ととらえ、したがって主に受験生の知識量を問う現行の入試制度を根本から変える必要はないと思われる。
  59. 不要: 思考力や論理的記述力は,基礎的学力が身についてから(高校卒業後くらいから),様々な経験を通して,身につけていくものと感じているため,大学入試時に評価(測定する)のは,早すぎるのではないかと思ったため.
  60. 不要: 思考力や論理的記述力は、大学入学後の研究などを通じて学ぶことができ、その方が効率的だと考えるからです。
    アメリカでは州によって学習の指導要領が異なるため、Reasoning Testの形式を用いているというお話でした。現状の日本においては、思考力や論理的記述力を、全国の高校で同じように学ぶことができる環境を整えるというのもまた難しいと思います。これらの能力形成は、自ら考え、主体的に学習する経験を通して得られるものだと考えています。勿論、高校のカリキュラムによっては、積極的に実験活動や討論の場を設け、その能力の形成に力を入れていることもありえます。しかし、進学後のことも考えると高校では、多くの科目の基礎知識を習得することに時間を割くべきだと思います。中等教育では知識という道具を増やし、高等教育でその使い方を学ぶ、という簡単な役割分担をする方が効率がいいように思います。
  61. 不要: 思考力や論理的記述力は主に大学での研究活動を通して身に着いたと思うため、高校卒業時点でそれらを評価する必要はないと考える。
    大学での研究活動では未知の物事における新規発見が大切である。問題に対し場当たり的な解決を行うのではなく、その問題の根本原因を探り、順序立てて解決を行う先に発見が存在する。この問題解決を行う上で思考力や論理的記述力が必要不可欠となる。正解の分からない問題に取り組み頭を悩ませる中で徐々に身に着けるものである。
    逆にこれらは高校までの学習で自然と身に着けるのは難しいと思われる。高校までの学習には基本的に正解が用意されているからである。正解を導き出すまでのアプローチの過程で一定の思考力は必要となるが、研究活動で身につくレベルと比べると大したものではないだろう。
    以上のことから、大学に入学する上ではその時点までに身に着けた思考力や論理的記述力を評価する必要はない。
  62. 不要: 私は、大学に入ってアルバイトなど多くの経験を積む中で、思考力や論理的考え方が向上したと考えています。そのため、高校卒業時にそれら能力を評価するのは正しい評価ができないと考えます。それよりも、テストの点数といった、努力量や地頭の良さを図る形式のほうがより良い評価ができると考えます。
  63. 不要: 私は思考力や論理的記述力に関して、大学入学後に意識して取り組むことで後天的に養うことができると考えます。実際に私自身、高校時代に暗記したり、表面的なことしか考えずに取り組んだりしてしまうことが多かったのですが、課題や研究などを通して論理的かつ分析的な思考を養っていくことができていると感じています。
    しかしこれはあくまで私が学んだカリキュラム、研究を通しての経験と意見であり、他大学のまったく異なる専攻で養うことができるのか、またどれくらいの思考力、論理的記述力を必要とされるのかがわからないため、それらの能力を入学時から大いに必要とされる環境であれば個別試験で導入を検討することは重要であると考えます。
  64. 不要: 私は大学入試において思考力や論理的記述力を評価する必要はないと考える。なぜなら、明確な評価基準を儲けにくいからである。論理的思考力が必要だとは思うが、これが入試に不平等にする懸念があるのであれば実施すべきではないと考える。そのため、数学の記述試験のように、評価基準を設けることができる場合は例外である。
  65. 不要: 私は不要だと考える。その理由としては、高校までの学修が将来自分がやりたい事、興味を持てることを探し、決めるためであることが挙げられる。実際に高校までの科目は主要教科から副教科まで幅広く存在し、それらは生徒が進んで選択して行うものではない。このことから、生徒に自分に合った、興味がある科目や分野を探してほしいという意図が感じられる。つまり、高校卒業までに重要視されているのは生徒個人の人生の方向性(自分で調査し、決断する能力)なのだから、まだその時点では思考力や論理的記述力を評価する必要性はないと考えられる。
  66. 不要: 私自身において高校卒業時を振り返ってみると、論理的な思考力は十分では無かったと思っています。この論理的な思考力は卒業論文執筆時に養われたと考えています。
    したがって、私は大学入試において、思考力や論理的技術力を評価するのは、そこまで必要とは思いません。
  67. 不要: 大学で思考力を鍛える経験を積むことができるので,高校では基本的なことを学ぶのが良いと思う。
  68. 不要: 日本人はアウトプットや文章を書くのが下手だと言われていて、大学での研究発表や論文発表において、せっかくすばらしい成果を上げてもアウトプットが弱いために評価されにくいと思います。このように考えると思考力や相手に伝わる論理的記述力は大学4年生以降に必要とされているため、この能力を大学1~3年生の間で伸ばせばいいと思います。
  69. 不要: 論理的思考力は大学での研究室で培うことができると思うから。
    自身の勉強した努力が評価されるべく打と考えるから。
  70. その他: 現状の教育状況に関する前提条件と、何のために評価するのかが不明なため、「その他」とした。
    現状の中高の教育においては、改変途上ではあるかもしれないが、「思考力や論理的記述力」をしっかり求める試験は見受けられないように感じる(ハイレベル大学の入試でない限り、記述問題もパターン化しており、暗記で乗り切れてしまう)。
    この力があるに越したことはないが、論理的に考えるための「材料」としての学問を身に着けている段階が高校教育と考えると、その時点で「思考力や論理的記述力」を求める試験を行うことは、その目的をしっかり定めなければ、水準の高い教育を受けた人物又は純粋に優秀な人物のふるい分けにしか使われない恐れがある(「思考力や論理的記述力」を伸ばす教育が広まってから行うならまた違った結果となると思う)。
  71. その他: 高校までに思考力や論理記述力を学ぶことは必要だと考える。知識だけを覚えているだけではそれを活用することは難しく高校までの学習を実用的にするためにも思考力を学ぶ必要があると考える。しかし共通試験などで一律に論理的記述力を評価を評価する必要はないと考える。知識などの基礎的な学習も能力であり、大学などで思考力の学習に力を入れているところもあると考える。個別試験で思考力をある人をとったり、逆に試験では思考力は問わず入学後に思考力の学習に力を入れるなどを各大学が判断をすればよいと考える。
  72. その他: 思考力については大学入試で評価する必要があると思うが、論理的記述力についてはその必要はないと思います。
    私自身の経験では、論理的記述力は大学でのレポート課題や研究を通して身についた感覚ですが、思考力については高校卒業までのカリキュラムで培われたと思っているからです。
  73. その他: 思考力や論理的記述力を評価する試験を実施する意義は十分にあると考えられる。しかし、大学入試の科目として実施するにあたって、普通科の高校の授業において、思考力や論理的記述力を養う科目を取り入れたうえで行うべきだと思う。
  74. その他: 私がその他を選択した理由は、思考力や論理的記述力を評価する必要はないが、高校の授業でそのような力を養う必要はあると感じたからである。
    養う必要があると感じた理由としては、私自身が大学での勉学、あるいはその先の未来において思考力や論理的記述力が必要であり、また、高校卒業時点ではそれらが欠如していたからである。
    一方で評価する必要はないと感じたのは、上記の能力が長期的に成長するものであり、高校卒業時点では適切な評価が下せないと考えたからである。
    高校での授業は、明らかに受動的であり知識を取り入れることを重点的に行っている。ある程度考えるような問題であっても、それなりにパターンかされていて、Reasoning Testのようなものとは異なり、正しい結果を導くことが目的になっている。しかし、大学の講義や、研究では明確に考える能力の方が求められている。したがって、思考力や論理的記述力を養う機会が少ないと感じ、養う必要があると考えた。
    また、長期的な成長をすると考えたのは、上記の力の成長要因に経験や他人の思考回路を知ることが大きく関わっていると感じたからである。つまりは、様々な考え方を知ることで与えられた情報から判断できる事実の量や質が向上し、導かれる結論に妥当性が出ると考えたからである。
    これらのことから、評価する必要はないが、養うべきではあると考えた。
  75. その他: 必要であるというよりは、それを指標とする試験制度が現在の試験の指標とは別にあってもいいと思います。理由としては、思考力や論理的記述力は大学に入ってから大きく伸びることもあるため、大学入試の全てに思考力や論理的記述力が求められると、大学入学後に伸びたかもしれない人の入学機会を大きく減らすことになってしまうからです。