[海外研修記録] 林 篤裕(大学入試センター) 帰国して既に半年以上が経ち記憶も少し色あせてきてしまいましたが、当時 の感動を思い出しながら海外研修記録をまとめてみます。 好運なことに、私は1998年(平成 10年) 2月から約 9カ月間に亘って、文 部省海外在外研究員として、アメリカ・New Jersey 州 Princeton にある Educational Testing Service(ETS) に滞在させてもらう機会を得ました。 New Jersey 州はアメリカの東海岸に位置する州で、四国と同じぐらい(ただ し縦長)の、50州中 46番目の面積を持つ、広いアメリカからすればこぢんま りとした州です。アメリカ独立 13州の一つと言うことで歴史も長く、発明王 エジソンの研究室があったり、アメリカ独立戦争にまつわる史跡も数多くあり ます。New York City に接している東北部のエリアでは商工業が盛んで、特に 医薬品をはじめとする化学工業はアメリカ有数だそうです。また、便利な場所 にあるため、人口が集中しており、人口密度はアメリカの中でもトップレベル だと聞いていますが、New Jersey 州は Garden State という俗称を持ってい るように、日本人からすれば森と丘と畑が続くのどかな田舎に見えました。 Princeton は州の中央西部にあり、大都市 New York へは電車で 1時間、 アメリカ発祥の地 Philadelphia には車で 40分程で行けますので、両都市の 場所をご存じならその線分の中間に位置するということですぐに見つけ出すこ とができると思います。また、緯度的(北緯 40°22')には十和田湖の位置とほ ぼ同じと言えば概要はお判りいただけるでしょうか? 事実、四季折々の風景が 楽しめ、特に春の新緑と、秋の紅葉は日々音を立てて鮮やかに変化していくと いう形容が誇張ではないように感じられ、それは見事でした。アメリカの独立 (1776年)よりも前に母体が設立された(1746年) Princeton University の大 学町として Princeton は栄えてきただけあって、キャンパスや町の中心部は 歴史を感じる重厚な建物が並んでおり、むしろヨーロッパ的な雰囲気がします。 ETS はその町の外れ(正確には隣の City, Lawrenceville) にあります。こ の機関はアメリカの大学進学における資格試験 SAT I/II やアメリカ留学の際 の一つの関門となる英語資格試験 TOEFL 等の種々の試験を作成・実施してい る団体として知られていますが、同時にこれら試験を理論的・技術的にバック アップする研究者集団が数多く所属する研究機関としても有名です。業務内容 的には我が大学入試センターと共通する部分も少なからず有りますが、その事 業規模やスタッフの層の厚さ等どれを取っても、残念ながら比較するべくもな いというのが正直な感想です。池を含む広大な森の中に自然と調和するような 色調の建物が点在しており、スタッフ総数が 2500人程度、その中に研究者も 10% 程度が含まれていると聞いています。試験に関するいろいろな研究者が所 属していますので、毎週のように研究会が開催されているだけでなく、各グル ープ内でもセミナーや講演会が催されており、全てに参加することはとても不 可能だと思われます。これらの周知や所員間の連絡は ETS 内の専用イントラ ネットを介して行われており、ちょっと放っておくと、すぐにメールスタック が一杯になるという有り様です。 さて、今回、私は、Dr.K.Tatsuoka らと Rule Space Model に関する共同研 究を行なうことができました。この Rule Space Model は、試験結果から受験 者を学習進度に基づいてクラスタリングする手法として近年注目されています。 試験を行なうことによって、その時点での受験者の学力特性を把握すること ができるわけですが、しかし、受験者の行動としては、ややもすると得点と言 う「数値の大小」に関心が集中してしまい、次の学習ステップとして、どの単 元を習得するのが「より効果的」なのかと言った学習の方向性には興味を持た れないことが多数見受けられます。これは、採点結果が数値でしか受験者にフ ィードバックされないことも一因であり、得点に加えて的確な助言(アドバイ ス)を添付することによってかなり改善されると予想されます。しかし、小グ ループならいざ知らず、大規模な集団に対してこのような指導を実施すること は現状では不可能であり、何らかの方策を立ててシステマティックに助言を与 える手段を模索する必要があります。これに対する一つの解答として、教育評 価の分野から Rule Space Model という手法が誕生してきました。 より具体的には、各教科の専門教員が中心になって、あらかじめ試験問題の 個々の設問(項目、Item)を、それを構成する幾つかの単元(Attribute)に分解 し、両者の関係を示す行列(Q-Matrix)を作っておきます。そして、試験の回答 パターンから各受験者の到達度(Knowledge State, KS)をパス解析的に把握し 分類することを可能とする手法です。小子化時代を迎えるにあたって、よりき め細かい教育が求められ、また可能になってきている現在、このような技術の 探求と開発は是非とも必要であると考えられ、事実、ETS 自身においてもこの 手法の有用性に注目し、実用に供しようとその利用方法を模索しているところ でした。 また滞在の後半では、私が従来から研究テーマとしてきた階層型ニューラル ネットワークモデルが、この Rule Space Model の振る舞いと類似しているこ とに着目して、簡単な構造のモデルを使った実験データを適用してみました。 その結果、両モデルには共通点があることや階層型ニューラルネットワークモ デルには Attribute を同定する作業の補完を可能にする事等がおぼろげなが ら判ってきました。 今後、私は Dr.K.Tatsuoka らとも随時連絡を取り合いながら、階層型ニュ ーラルネットワークモデルと Rule Space Model の比較研究を続けると共に、 学習達成度から今後の指針を提示する助言システムについても両技術を活用す ることによって実現しようと考えています。 また、今回の滞在中、8月にはイギリス・Bristol の University of Bristol で開催された COMPSTAT'98 に参加し、ニューラルネットワークを用いた入試 データの解析に関する研究「An analysis of university entrance examination data using Neural network models」を発表する事ができました。それに先立 つ 7月にはイタリア・Rome で開催された IFCS-98 に学会事務局の一員 (Treasurer)として参加し、各国代表の先生方が顔をそろえる Council Meeting に出席して何とか自分の担当を務めることができました。加えて、帰国直前の 1 ヶ月間はスイス・Basel の Institute for Statistics and Economics の Dr.W.Polasek の研究室に滞在することもでき、ニューラルネットワークモデ ルの応用に関していろいろと意見交換を行うことができました。 私にとって、海外での長期間の滞在は初めてであり、見るもの聞くもの全て が新鮮で貴重な経験でした。国内に居て知る外国と現地での体験は多々異なっ ており、正に「百聞は一見に如かず」の言葉通りでした。また、述べ10ヶ月 間で、アメリカやスイスに限らず、様々な国々の多くの研究者の方々と交流す ることができたことが一つの財産になるように感じています。そして、何より、 Rule Space Model と階層型ニューラルネットワークモデルの特徴に共通点が あったことを発見できたことは大きな喜びであり、今後の研究のきっかけを得 た気分で十分に満足して帰国することができました。 渡航中、幾多の困難に遭遇したにも関わらず、滞在先のスタッフの皆さんに はいろいろとお世話になりましたし、また、国内からも強力にバックアップし ていただき、何とか無事に帰国することができました。これらの方々に感謝の 意を表わして、この滞在記を終ることにします。